川内大綱引の歴代三役の名簿を見てみると、昭和40年代のころは、一番太鼓だけ、または一番太鼓と大将だけでした。そして、昭和50年代に入った頃から押大将も名簿に名前が載るようになってきています。
向田側で綱引がある時は一番太鼓が一番の花形で、大小路側で綱引がある時は大将が一番の花形とされていてます。
川内大綱引では、太鼓の音が引き隊への引けの合図です。
上方・下方、それぞれに一番太鼓から十番太鼓まで10人ずつで構成される太鼓隊がおり、その太鼓隊が打ち鳴らす太鼓の音に合わせて引き隊は綱を引きます。
その太鼓隊の統率を取り、全体に引けの合図を伝えるのが一番太鼓です。
川内大綱引は、ダン木の上に乗せられた綱の上に、上方・下方の一番太鼓が乗り、審判長の合図のもと、同時に太鼓を叩き始めて双方一斉に綱を引き始めるところから始まります。(それを『綱を割る』と言います。)
令和5年度の上方太鼓隊
令和5年度の下方太鼓隊
上方・下方の引き隊を中心とした全体をまとめる役職です。
一番太鼓は常に綱の中心に、押大将が押しの中心にいるのに対し、大将は中心から綱の両端にあるワサのところまで移動しながら状況を把握し、指揮をし、全体を鼓舞します。
川内の大綱引は、引き合いで大綱がどちらかに動いてもそれで終わりではありません。
大綱の両端にはワサと呼ばれる大きな輪が作られていて、綱を引かれた方(負けている方)は、綱を引かれた時に(最初の時の中心の位置にある)道路に埋められたダン木と呼ばれる木にワサをかけて、それ以上引かれないようにします。
そして、相手の引き隊を邪魔をしに行く押し隊を編成して、相手陣内に押し込み、相手の引き隊の体勢を崩して、自軍の引き隊が綱を引きやすくします。その押し隊の編成の中心となるのが、押大将です。