川内大綱引の歴史

川内大綱引は、慶長年間(15961614年)に始まったとされ、一説には関が原の合戦の際、第17代島津義弘が兵士の士気を高めるために始めたと言われています。

 

また綱引そのものは隣国韓国にそのルーツがあるとされ、これをいわゆる青少年教育である郷中教育(子弟制度)の中に取り入れつつ継承されてきたものであるという説もあります。以来、大綱引は川内の人々の心に強く根付き、中秋の名物として受け継がれてきました。

400年以上にもおよぶ歴史と伝統を守り、後世に伝えてゆくために、昭和60月に川内大綱引保存会が設立され、地域の文化振興・商工観光振興に勤めています。

「けんか綱」の通称は現在使用しておりません

上半身裸の男たちが、綱の中心で押し合いをする勇壮な様を表すのに、以前は通称として「けんか綱」という言葉を使用していました。ですが、綱中心部で繰り広げられる押し合戦は、相手を綱の上から押しのけるための押し合いであり、決してケンカをしているわけではありません。

 

「ケンカ綱」という通称は、『ケンカができる綱引』、『ケンカをしてもいい祭』という誤解を招くということから、平成26年度より、川内大綱引保存会・川内大綱引実行委員会では、通称としての「けんか綱」という表現を使用しないこととしています。